夏の午後、119番が入りました。通報したのは、高齢者施設の職員でした。
「入居されている方の、酸素の値が下がっていて……」
施設では、この数字を毎日測っているところがあります(写真はイメージです)
現場は、認知症の高齢者が共同生活を送るグループホームでした。対象は90代の女性。既往に肺がんがあります。
到着したとき、すでに施設のスタッフが酸素を用意していました。そして、こう言われました。
「先生(施設が契約している医療機関の医師)に連絡がついて、受け入れ先の病院も決まっています」
この一言で、私たちの仕事はかなり楽になりました。その理由を、この記事で説明します。
現場で見たもの
- SpO2 91%(酸素を投与している状態で)
- 意識:JCS 1-2(自分で目は開けているが、見当識——日付や場所——があやしい)
- 呼吸 20回/分、脈 83回/分、血圧 108/62、体温 37.3℃
- 搬送中、酸素を続けた状態でSpO2は99%まで改善
診断は、もともとの病気による呼吸不全。重症と判断され、そのまま入院となりました。
SpO2という数字は、何を表しているのか
施設からの連絡でよく出てくる「酸素の値」が、SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)です。指先にはさむ機械で測る、あの数字です。
日本呼吸器学会が出している一般向けの冊子には、こう書かれています。
正常ではヘモグロビンの約96 〜99% に酸素が結合し、その比率を動脈血酸素飽和度(SaO2)と呼びます。
SpO2 が90%未満は呼吸不全の状態です。長期に継続すると、心臓や脳といった重要な臓器に充分な酸素が供給されず、障害を起こすことがあります。
健康な方のSpO2 の標準値は96 〜99% ですが、酸素吸入にて標準値を維持する必要はありません。
そして、酸素を吸っているときの目標については、こうあります。
酸素飽和度SpO2 は、酸素吸入時に90%以上に酸素流量を維持します。
施設では、体温・血圧と並んでSpO2を測っているところが増えています
ここで、今回の91%という数字を読み直してみてください。
酸素を投与している状態で、ようやく91%。「90%以上を維持する」という目標の、下限すれすれです。数字だけ見ると1桁台の違いですが、酸素の助けを借りてこの値だったということの意味は小さくありません。
ただし、数字を信じすぎないこと
同じ冊子には、測定がうまくいかない条件もはっきり書かれています。
手を動かしたり、指が冷たいなどの末梢循環が悪いと正しく測定されません。
冊子が挙げているチェック項目は、たとえばこういうものです。
- 運動直後ではないか(20〜30秒後の値を読み取っているか)
- 測定部位を動かしていないか
- 爪のマニキュアや白癬症が光の透過を妨げていないか
- 屋外など強い光の下で測っていないか
- 手足が冷たくなっていないか、指のむくみはないか
低い値が出たときは、まず測り直す。でも、測り直しているあいだにも時間は進みます。数字が気になる状態なら、測り直しと並行して人を呼ぶ。それが現場の判断です。
それでも、判断の軸は「いつもと違う」
この事案で職員が最初に気づいたのは、数字だけではありませんでした。会話の様子です。
意識レベルの物差しであるJCSでは、1桁は「刺激しないでも覚醒している状態」を指し、そのなかの2は「見当識障害がある」——日付や場所、相手が誰かがわからなくなっている状態です。
毎日接している人だけが「いつもと違う」に気づけます
認知症のある方の場合、もともとの状態と、急変によって起きた変化の区別がつきにくい。だからこそ、普段の様子を知っている職員の「いつもと違う」が決定的になります。
そして、これは家族にもそのまま当てはまります。帰省したときや面会したときの「あれ?」は、記録に残らない貴重な観察です。
もうひとつ。日本呼吸器学会の肺炎の冊子には、こう書かれています。
高齢者は発熱などの肺炎の典型的な症状がみられないことがしばしばあります。
高齢者では、食欲がない、体がだるい、元気がない場合にも肺炎を疑いましょう
「熱が出て、咳が出て、苦しがる」という教科書どおりの出方をしないことがある。今回の方も、体温は37.3℃でした。
施設の種類で、医療体制は違います
ここは、家族にぜひ知っておいてほしいところです。
グループホーム(認知症対応型共同生活介護)には、医師の配置義務がありません。
厚生労働省の資料では、グループホームはこう説明されています。
認知症(急性を除く)の高齢者に対して、共同生活住居で、家庭的な環境と地域住民との交流の下、入浴・排せつ・食事等の介護などの日常生活上の世話と機能訓練を行い
人員の基準を定めた省令にも、医師は出てきません。その代わりに、こう定められています。
指定認知症対応型共同生活介護事業者は、利用者の病状の急変等に備えるため、あらかじめ、協力医療機関を定めておかなければならない。
「医師がいない」ことと「医療につながらない」ことは、別の話です
一方、特別養護老人ホームの基準には、はっきり医師が置かれています。
二 医師 入所者に対し健康管理及び療養上の指導を行うために必要な数
つまり——
「施設に入っているから、何かあってもすぐ医師が診てくれる」とは限りません。施設の種類によって、体制はまったく違います。
今回のケースで効いていたのは、まさにこの協力医療機関の仕組みでした。職員が異変に気づく → 契約している医療機関の医師に連絡 → 受け入れ先の病院まで話がついた状態で、私たちが呼ばれた。現場に着いた時点で、行き先が決まっていたのです。
ご家族が施設を選ぶとき、あるいは今の施設について確認するとき、「急変したときはどこの病院に連絡が行くのか」は、聞いておく価値のある質問です。
施設から連絡を受けた家族が、まずすること
「救急車を呼びました」という電話を受けたとき、家族は何をすればいいのか。
答えは、情報を持って行くことです。
消防庁の告示(救急隊員が行う応急処置等の基準)には、救急隊の行動として、こう定められています。
傷病者本人又は家族その他の関係者から主訴、原因、既往症を聴取するものとする
お薬手帳は、口で説明するより速くて正確です
救急隊が家族から既往を聞き取るのは、基準に定められた仕事です。だから、家族が情報を持っていることには、はっきりした意味があります。
用意しておくと現場と病院が助かるのは、この5つです。
- お薬手帳(写真でも可。何を飲んでいるかが最優先)
- かかりつけの医療機関名と、通院している科
- 既往歴(今回のように、がんの治療歴があるかどうかは重要な情報です)
- 普段の状態——自分で歩けるか、食事はどうか、会話はどの程度か
- キーパーソンの連絡先(誰が判断できる立場なのか)
とくに ④の「普段の状態」は、家族と施設にしかわからない情報です。到着した私たちには、その人の「いつも」がわかりません。
電話口で慌てないために、情報は前もって1か所にまとめておく
高齢者施設からの救急搬送は、年間およそ54万人
消防庁の統計(令和4年中)では、事故発生場所別の搬送人員のうち、「老人ホーム」——老人ホームや老人保健施設などの高齢者の入所施設——からの搬送は約54万人でした。搬送人員全体の8.7%にあたります。
施設に入っていることは、救急搬送と無縁になることを意味しません。むしろ、体調を崩しやすい方が集まっている場所だからこそ、搬送は日常的に起きています。
酸素吸入は、救急隊員が行う応急処置として国の基準に定められています。搬送中も処置は続きます
付き添えないときでも、情報だけは先に届けられます
その日、職員が数字の変化に気づいたことが、すべての始まりでした

