ある夏の日のことです。地方都市の道路で、80代の男性が車を運転中に、ハンドル操作を誤って軽い接触事故を起こしました。幸い、大きなケガはありませんでした。外傷もなく、手足の麻痺もなく、頭痛もなく、受け答えもできる状態です。
一見、「ちょっとした運転ミス」に見えました。でも、家族が気づいたのです。事故のあと、ご本人が尿を漏らしていたこと。そして、なんだか"ぼーっと"していることに。家族はその異変を察して119番通報しました。
現場で確認しても、意識ははっきりしていて(家族いわく、普段より少しだけ反応が鈍い程度)、大きな異常は見当たりません。それでも私たちは、脳の血管の異常=脳卒中の一歩手前を疑って、かかりつけの病院へ搬送しました。
「軽い事故」の裏に隠れていたかもしれない、脳のSOS。今日はその見抜き方を、家族の目線でお伝えします。
「運転ミス」に見える事故の裏で、脳が悲鳴をあげていることがあります
軽い事故は「運転ミス」?——いいえ、脳のSOSかもしれません
高齢の親の運転で、こんな「小さな事故」はありませんか。
- 駐車場で、車をこすった
- ブレーキとアクセルを踏み間違えた
- 曲がるタイミングを誤って、軽く接触した
多くは、加齢による判断や操作の衰えかもしれません。警察庁の分析でも、75歳以上の運転者は操作ミスによる事故が多く、死亡事故に占める「ブレーキとアクセルの踏み間違い」の割合は75歳以上で6.6%と、75歳未満(0.8%)の約8倍にのぼります(令和5年・死亡事故での比較)。
ただ、その「操作ミス」の一部に、脳の血管の異常が引き起こした事故が紛れていることがあります。
「たまたまのミス」で片づける前に、本人の様子を確かめてください
TIA(一過性脳虚血発作)とは
TIA(一過性脳虚血発作)とは、脳の血管が一時的に詰まって、脳卒中のような症状(手足の麻痺、しゃべりにくさ、視野の異常など)が出るものの、血流がすぐに戻って、症状が短時間で消えてしまう発作のことです。
やっかいなのは、症状が消えてしまうことです。
症状が消えても、脳の中では警告が鳴っています
症状がおさまると、本人も家族も「治った」「気のせいだった」と思ってしまいます。でも、TIAは脳梗塞の前触れです。実際、国立循環器病研究センターによれば、TIAを起こした人の15〜20%が90日以内に脳梗塞を発症し、しかもその半数は最初の2日以内に起きるとされています。「治ったように見えるからこそ、危ない」——これがTIAの怖さです。
だから、運転中の「軽い事故」のあとに、いつもと違う様子があれば、それは脳からのSOSかもしれないのです。
家族が見抜く5つのサイン
離れて、あるいは一緒に暮らす家族が、「いつもと違う」に気づくことが、命を守ります。次の5つに注意してください。
「なんだかいつもと違う」——その違和感を、見過ごさないでください
① 普段しない「尿失禁」などの、いつもと違う変化 ふだん失禁しない人が急に尿を漏らす——これ自体が脳卒中のサインとは限りませんが、「体に何かが起きている」という大切な合図です。今回のケースでも、家族はこの"粗相"をきっかけに異変に気づきました。「たまたま」で済ませず、次に挙げるサインとあわせて見てください。
② 事故のあと、ぼーっとしている 受け答えはできるけれど、なんとなく反応が鈍い、うつろな表情でぼんやりしている。この「いつもと違うぼんやり」は、意識の変化のサインかもしれません。
③ 呂律が回らない・言葉が出にくい しゃべりにくそう、言葉が出てこない、ろれつが回っていない。これは脳卒中の代表的なサインのひとつです。
少し話してもらうだけで、脳の異常のサインに気づけることがあります
④ 片側の手足の力が入らない・しびれ・視野の異常 片方の手足だけ力が入らない、しびれる、顔の片側がゆがむ、片目が見えにくい・視野が欠ける。左右の「片側だけ」の異常は、脳卒中を強く疑うサインです。
「片側だけ」の脱力やしびれは、脳のサインとしてとくに注意が必要です
⑤ 覚えていない時間帯がある 「事故のことをよく覚えていない」「さっきのことが抜け落ちている」。一時的に記憶が飛んでいるのも、脳で何かが起きているサインのことがあります。
これらは、それ単独で「脳卒中だ」と断定できるものばかりではありません。けれど、「普段のその人と違う」という変化がひとつでもあれば、脳の異常を疑う理由になります。
家族が今日からできる3つの行動
① 「いつもと違う」を、様子見しない
いちばん大切なのは、「様子を見よう」でやり過ごさないことです。とくに高齢者は、本人が「大丈夫」と言うことも多いもの。でも、脳の異常は時間との勝負です。家族が「おかしい」と感じたら、その直感を信じてください。
久しぶりに会う家族だからこそ気づける"違和感"。「大丈夫」の一言で流さないで
② 疑ったら、迷わず119番
脳卒中やTIAを疑ったら、様子を見ずに、すぐ119番です。
「でも、TIAは症状が消えるんでしょう? 治ったなら呼ばなくていいのでは」——いいえ、逆です。症状が消えても、その後に本格的な脳梗塞が来る危険があります。しかも、脳梗塞の治療は、発症からの時間が短いほど効果が高く、時間との闘いです。"治ってしまう"からこそ、疑った時点で呼ぶ。これが正解です。
症状が消えていても、受診してMRIなどで確かめることに意味があります
顔のゆがみ(Face)、片腕の脱力(Arm)、言葉の異常(Speech)——このどれかがあれば、時間を確認して(Time)すぐ通報、というのが「ACT FAST」という脳卒中の合言葉です。
③ 免許返納の話し合いは、"1回で決着"にしない
事故や脳のサインがあったとき、家族はつい「もう運転はやめて」と、一度に結論を出そうとしがちです。でも、車は高齢者にとって、生活と誇りに関わるもの。頭ごなしに取り上げようとすると、かえってこじれます。
免許返納は、一度きりの説得ではなく、段階的な話し合いで
まずは受診と検査を優先し、そのうえで、免許返納は段階的に、繰り返し話し合うことが大切です。75歳以上の運転免許の更新では認知機能検査があり、運転免許の自主返納の制度もあります。かかりつけ医や、地域の相談窓口の力も借りながら、本人の気持ちに寄り添って進めてください。
そして、かかりつけ医との連携も忘れずに。既往歴(高血圧・糖尿病・不整脈など)や飲んでいる薬は、脳卒中のリスクや治療に直結します。お薬手帳を共有し、気になる変化は主治医にも伝えておきましょう。
運転をやめる話も、命を守る話。家族だからこそ、寄り添って向き合えます


